いつまでもこどもでいたいわたしと許されない世界のはなし

 

21歳にしてようやく自分の世界の狭さを知った。18歳で上京し、田舎の狭いコミュニティから脱したとガムシャラになって毎日を過ごしていた。都会に住むわたしは、現実を見ようとしないこどもだった。

小さい頃からの夢があって、その夢に向かって歩んできた人生だった。父にはちゃらんぽらんな娘だと言われたし、妹の友達にお姉ちゃんはなにやってる人?と言われて、フリーターだよ、というしかないまじでしがないフリーターなわたしだけれど、それでも夢を叶える為に一生懸命頑張っていた。

けれど苦労という苦労をしたことがないのが悩みだった。わたしの中にはなにも無いと感じていた。一生懸命やっているフリをしているだけじゃないか?いつまでも纏わりついてくる虚無感がうざったかった。

 

流行病がやってきて、バイト先の飲食店は火の車になった。飲食だけではないと思うけれど、どこでだって経営者は簡単に経営難に陥っていて、雇われバイトはどこに行ってもお払い箱だった。

休みを貰いながら平均の1/2以上のお給料を貰えるなんてラッキーと思いながら引きこもり生活を迎えて約1ヶ月のあいだに、世の中はすっかり変わってしまった。リモートリモート、仕事も飲み会も習い事もリモート。

時代にとり残されそうだと思った。

憧れていた都会の街はあんなにも素敵な光で満ち満ちていたはずなのに。寂しかった。

 

必死に夢を追い続けたことを後悔していない。

今のわたしを形作る大切な期間だったし、21年間の中で一番楽しかった。目に見えた結果なんて出たことなかったけれど、一緒に過ごす仲間と意見を出し合い、良いものを目指した期間は楽しかった。ずっと悔しくて時に嬉しくて、感情が揺さぶられるたびわたしは生きていることを実感していた。

 

ガムシャラに頑張ることは楽しかった。

 

でも楽しいだけで食べてはいけない。生活のことを考えるとお金がいる。夢を職業にしたいけれど、夢を追い続ける為にはお金がいる。手に職を付けてから、趣味として楽しいことをやってもいいかもな。そんなことこれっぽっちも思ったこと無かったのに、時間ばかりが有り余った生活の中では、そんなことすらも視野に入れてしまう暇さえあった。

貯金の残高を2日に1回は確認して、どうやったら増えるんだろうと考えた結果、わたしは夢を追うのを辞めた。

正確にはこの文章を書いている間も悩み続けて、色んな選択肢を考えて、自分にはなにも無いことを痛感した。選択肢だって、もっと学があれば、もっと苦労をして来ていたら、今のわたしに選べたものは沢山あったかもしれないのに。

選択の余地の無さにびっくりして、わたしの能力の無さにびっくりして、沢山の人が沢山のことをしていることを知った。

 

21歳のこどもは、いつになったら大人になれるのだろうな。時間が解決するのだろうか。それまで世界は許すだろうか。許されなくなったら強制的に大人になるのだろうか。こんなこと考えてる時点で甘えてるなどと大人たちに言われるのだろうか。タバコは吸わないけどお酒は人並みに。それでも陽が傾く頃に食べるクリームソーダが一番美味いと思う綺麗な世界に住んでいたい。少しの夜更かしでそわそわしていたい。りんご飴は後先考えず一番大きいものを買いたいし、都会の街を綺麗だと思いたい。

我侭なこどもだ。どうしようもなく綺麗なものに囲まれていたいのだ。目に映る全てのものが幸せでありますようにと思ってしまう。いい子ちゃんでありたい。

 

破茶滅茶だと思っているでしょう?

わたしが一番そう思ってる。あ〜〜〜〜〜〜〜〜どっかにわたしを求めてくれる人か仕事は無いものか。

 

こどもだってお金がいるのだ。