久しぶりだな、わたし

お久しぶりです。生きてます。

一個前のブログがメールで送られてきて、ようやく開いてみた。

最初にブログを書いたときに、堅苦しいつまんない大人になりたくないな、と思っていたことを思い出した。

今でも都会は大好きだし、感性はいつまで経ってもこどもだけれど。

あの頃のわたしからしたら、とても大人になってしまった。

いつからか、全てを諦めたようになってしまった。大人はもっときらきらしていると思っていた。

 

そんなことは全く無かった。

 

今もとっても楽しいけれど、彼氏もいるし充実してる。

仕事はまだまだ嫌いだと思うことばかりだけれど、もう少し頑張らなきゃなという気持ち。

 

沢山のときめきや、わくわくが減ってしまった。

 

また子どもの頃のあどけないわたしに戻れたりするんだろうか。

だいすきなひとの話をします

こんにちは。

 

実はもうずっと追いかけていたひとの思想が終わってしまいます。なんてことの無い1ファンだったのですが、とてもかなしくって、久しぶりに独り言のブログを開きました。

 

少しずつ終わりに近づいているな、と感じ取ってはいましたが

いつまでも終わらない夢のように静かにゆっくり活動休止という形をとるのだと思っていました。

本人の口から、もう新しい言葉を紡がれることは無いといったお話を聞いて

それが慢心だったのだと気付かされました。

 

あなたが居たおかげで、たくさんのものを手に入れてしまいました。

よい時間でしたか、という質問に

 

よいぐらいじゃない、有り余るほどだった

 

と言っておられましたが、私こそ、有り余るほどのものを頂いてしまいました。

 

初めてお会い出来た時は本当に感無量で、夢の中にいるみたいで、

それから何度か、お会い出来ましたが、毎回夢の中に入っておりました。

良い意味で現実味がなく、日常の中にするりと入り込まれるとき、すとんと言葉が胸の内に落ちてくるのです。

あなたのおかげで気持ちがより動きだし、たくさんの活動をしたように思います。

今まで出会ってからの気持ちの揺れ動きが、あなたが私の内にいた証となります。

 

宗教じみたことを言ってしまっている自覚はありますが、感覚でしかものを捉えられない独り言なので

ふわっと感覚で読んでください。

 

あなたの表現に憧れて、ファンになり、あたたかさを貰いました。

ひとくちにあたたかさといっても、どうしてか不思議な感覚で、あなたはひとりで佇んでいる様子なのに、いつの間にか私たちを巻き込んで、ふわりとお風呂のような落ち着く場所に置いてくれて、どうしてか泣きそうなほど懐かしい想いでいっぱいにしてくれるのです。

難しく考えず、私の自己中心的な独り言を申しますと、また近しい思想が現れてくれたら、と思っています。

 

たくさんの想い出をありがとうございました。

 

大好きでした。あいしています。

 

これからもじょにぃさんと仲良く、お元気で。

 

 

またお会いできますように。

 

 

 

追記 最後の謎解き、ほんっとうに解けませんでしたが、あなたを慕った素敵な方たちのおかげで解けました。

言葉以上の、楽しみをありがとう。勇気と喜びと、少しのさみしさをありがとう。

迷った時はあなたを思い出します。

あなたを慕った時間は、これからの私にとって、宝物のようなもので、

この想い出があれば生きていけます。

 

それでは今度こそ

 

おやすみなさい、いい夢を。

お久しぶりです生きてます

 

こんばんは、お久しぶりです。

 

季節がいくつも通り過ぎて、とっても暑くなってしまいました。

夏は好きだな、あっついけどカラッとしてて、もうなんでもいーなという気持ちにさせてくれるので。

 

さて、今日は近況報告から。

実は冬に一般企業に就職して、今では立派に、とはいかずとも社会人。日記のように書いていたものも全く忘れ去っていて、でも仕事でも書かなきゃダメだと思ってきたので復習がてらブログを開きました。

 

仕事、むつかしい。

難しくしてるのは自分だと分かりつつも、アリジゴクのような迷宮に陥っている感覚。

 

わたし、やっていけるかな。

夜になるといつも弱音を吐きたくなります。

でも大好きな仕事なので、もう少しがんばってみようかなと自分を奮い立たせて今年はチャレンジしてみます。がんばれ、わたし。

 

そんなこんなで私生活は、外にもあまり出れないし仕事場と自宅の往復です。皆さんはなにをしてますか。

趣味とか欲しいものです。ボーナスがどれくらい貰えるものか分からないけど、貯金が貯まったらかねてより趣味にしたいと思っていたカメラでも買おうかな。絶対遠出したくなるけど、いつもの道も楽しくなるかもしれないし。

楽しみ。

あーあ、早く冬がこないかな。

皆さんの最近の趣味も知りたいです。よかったら教えてください。

 

ではまたいつか。

人間としての生活

おはようございます。眠れなくて朝日を浴びながらブログを書いています。

 

自粛期間でお仕事が全く無くなり時間だけが有り余っている中で、毎日本当に何もしてません。お腹が空いたらご飯を食べる。眠くなったら寝る。少しは運動もしないとダメかと思い、ここ2,3日は1時間程度ですが外を歩いています。有意義な時間とはかけ離れてるかな。

何をやったらいいのか、何をやりたいのか、どうやって生きていきたいのか。将来のビジョンが全く浮かばなくて、

人はどういった風に人生を歩んでいくのか

とか、不確定な部分ばかり考えてしまう。

何もやらないことは難しくて、自分では正解に近づけないからこうしてブログとかを書いてみてるわけですが。

 

なんか、こう、忙しかった時には考えてこなかったことを今になって大量に考えている気がして。

堅苦しいことを考えていると眠くなる気がする。

あ、今なら眠れそう。おやすみなさい。

起きたらまた考えます。

SNSでこころが疲弊する

こんばんは。前向きじゃないブログです。

 

小学校の頃、一年に一作品は国語の時間で戦争にまつわる物語を読んだ気がします。ちゃんと覚えてるのはあんまりないけど、「ちぃちゃんのかげおくり」が一番記憶に残っている物語。他にもあったけれどかげおくりが友達との間で流行ったこともあってめちゃめちゃ覚えてる。

でも教科書に載ってる作品で、読めない!勉強したくない!みたいな物語は無かった気がする。

わたしは「はだしのゲン」が苦手だった。漫画も映像も、今でも最後まで読める気がしない。小学生の頃クラスで「はだしのゲン」が流行ってて、図書室の漫画をみんなでまわし読みしてた。わたしは加わらなかった。金曜ロードショーか何かで映画が放送された時、兄は観てたけどわたしは観れなかった。

人より悲しみや苦しみなどの負の感情に対する耐性が圧倒的に少ないのは、小さい頃の環境からか。誰が悪いわけでもないのに、誰かは誰かを批判して、時に暴力的になり、戦争になる。

SNSが向いてないんだよな、人の嫌な意見を不可抗力で見てしまう。どうしてそんなに叩くんだろう。あなたに不利益をもたらしてるわけじゃないのに。どうして人の嫌いなところばかり指摘するんだろう。興味がないならスルーしてあげればいいのに、アンチは暇人の遊びか?それで他人の人生をズタボロにしていいのか?あなたは人殺しになりたいのか?

悲しいノンフィクションストーリーを見てしまったみたいにわたしはずっと落ち込んでしまう。

考えすぎだって言われるけれど、みんなが考えすぎなくらい考えないと、嫌なことは無くならないのでは?アンチはそれが嫌なことだと思ってないのか。

悲しい感性の持ち主だな。

今みんな疲れてるっていうのもあるかもしれないけれど。わたしが暇すぎて思ったよりSNSを使いすぎているのかも。

ちょっと休憩しよっかな。心の休憩をとらないと、疲弊しすぎて死んでしまいたくなるな。

時間が有り余ると昔のことばかり思い出してしまうよね

 

最近、中学のときの同級生や、高校のとき好きだったクラスメイトが夢に出てくる。みんな姿形は当時のままで、近況報告をしてくれる。

とても素敵だ。

新しい出会いを大切にしていきたいけれど、今までの縁も大事にしていきたい。今のわたしを形作っているのは過去に出会ったあなたたちだから。

昔の知り合いに連絡をするのは容易だ。最近どう?社会って大変だよね、地元帰ったらご飯でもどう?

 

昔のわたしはどうだったろうか。同級生に軽々しく近づいていけなかったし、それでメソメソしていた。

変化というのはこういうことか。

制服は戦闘服だった。

学校にはわたしの弱いところを曝け出しに行くような心持ちで通っていた。

ジャケットを羽織ると強くなれたし、スカートは3回折るとスッキリした。身体的なコンプレックスは制服を着るとあまり気にならなくなった。

元々のぽっちゃり体型にサヨナラしたいと思って最近色々始めた。続かなかった筋トレやストレッチや、お金がバカほどかかるけれど補正下着なんか買ってみたり。

制服が無くてもなんとかやれるんだよ。わたしの戦闘服は私服だと堂々と胸を張れるように。

昔のわたしを知る人たちに、いつでも会いに行けるように。素敵だと思ったメイド服や水着や浴衣やドレスが着れるように。

あわよくば、好きな人に少しだってよく思われますように。

…と思ったりして。

 

教室の隅で空気と同化したいなと思っていたあの頃のわたしより、図太くなんとか生きてるよ。隅にいても、王子様が見つけてくれますように。少女漫画のような恋が馬鹿らしいって思おうとしてたあの頃のわたしより、今のわたしは素敵だよ。

いや深夜テンションだから明日の昼ごろには消えたくなってしまっているかもしれないけれど。

それでも2020年で生きてるよ。

 

こんど、中学のときの同級生や、高校のとき好きだったクラスメイトに会えたら何を話そうね。

いつまでもこどもでいたいわたしと許されない世界のはなし

 

21歳にしてようやく自分の世界の狭さを知った。18歳で上京し、田舎の狭いコミュニティから脱したとガムシャラになって毎日を過ごしていた。都会に住むわたしは、現実を見ようとしないこどもだった。

小さい頃からの夢があって、その夢に向かって歩んできた人生だった。父にはちゃらんぽらんな娘だと言われたし、妹の友達にお姉ちゃんはなにやってる人?と言われて、フリーターだよ、というしかないまじでしがないフリーターなわたしだけれど、それでも夢を叶える為に一生懸命頑張っていた。

けれど苦労という苦労をしたことがないのが悩みだった。わたしの中にはなにも無いと感じていた。一生懸命やっているフリをしているだけじゃないか?いつまでも纏わりついてくる虚無感がうざったかった。

 

流行病がやってきて、バイト先の飲食店は火の車になった。飲食だけではないと思うけれど、どこでだって経営者は簡単に経営難に陥っていて、雇われバイトはどこに行ってもお払い箱だった。

休みを貰いながら平均の1/2以上のお給料を貰えるなんてラッキーと思いながら引きこもり生活を迎えて約1ヶ月のあいだに、世の中はすっかり変わってしまった。リモートリモート、仕事も飲み会も習い事もリモート。

時代にとり残されそうだと思った。

憧れていた都会の街はあんなにも素敵な光で満ち満ちていたはずなのに。寂しかった。

 

必死に夢を追い続けたことを後悔していない。

今のわたしを形作る大切な期間だったし、21年間の中で一番楽しかった。目に見えた結果なんて出たことなかったけれど、一緒に過ごす仲間と意見を出し合い、良いものを目指した期間は楽しかった。ずっと悔しくて時に嬉しくて、感情が揺さぶられるたびわたしは生きていることを実感していた。

 

ガムシャラに頑張ることは楽しかった。

 

でも楽しいだけで食べてはいけない。生活のことを考えるとお金がいる。夢を職業にしたいけれど、夢を追い続ける為にはお金がいる。手に職を付けてから、趣味として楽しいことをやってもいいかもな。そんなことこれっぽっちも思ったこと無かったのに、時間ばかりが有り余った生活の中では、そんなことすらも視野に入れてしまう暇さえあった。

貯金の残高を2日に1回は確認して、どうやったら増えるんだろうと考えた結果、わたしは夢を追うのを辞めた。

正確にはこの文章を書いている間も悩み続けて、色んな選択肢を考えて、自分にはなにも無いことを痛感した。選択肢だって、もっと学があれば、もっと苦労をして来ていたら、今のわたしに選べたものは沢山あったかもしれないのに。

選択の余地の無さにびっくりして、わたしの能力の無さにびっくりして、沢山の人が沢山のことをしていることを知った。

 

21歳のこどもは、いつになったら大人になれるのだろうな。時間が解決するのだろうか。それまで世界は許すだろうか。許されなくなったら強制的に大人になるのだろうか。こんなこと考えてる時点で甘えてるなどと大人たちに言われるのだろうか。タバコは吸わないけどお酒は人並みに。それでも陽が傾く頃に食べるクリームソーダが一番美味いと思う綺麗な世界に住んでいたい。少しの夜更かしでそわそわしていたい。りんご飴は後先考えず一番大きいものを買いたいし、都会の街を綺麗だと思いたい。

我侭なこどもだ。どうしようもなく綺麗なものに囲まれていたいのだ。目に映る全てのものが幸せでありますようにと思ってしまう。いい子ちゃんでありたい。

 

破茶滅茶だと思っているでしょう?

わたしが一番そう思ってる。あ〜〜〜〜〜〜〜〜どっかにわたしを求めてくれる人か仕事は無いものか。

 

こどもだってお金がいるのだ。